畑中稔、株式会社久恵比寿社長の年収、経歴、資産など詳しく解説。

社長

北海道が誇る寿司店

魚介の王国・北海道。苫小牧市で創業した株式会社久恵比寿は「〆さば」が絶品と評判の寿司店を経営する会社です。始まりは1960年。「久恵食堂」として開業して、業態を変更しながら今に至ります。回転寿しクリッパー、100円くりっぱー、回転寿し旬楽などの寿司店をはじめする飲食店業、フランチャイズチェーン加盟店の指導業務や、新店舗展開、食品の流通、販売に関するコンサルティング業務などを行っています。
地元北海道が誇る新鮮な魚介類、米も北海道米を使用し、徹底的に地産池消にこだわります。コンセプトは「とにかく旨い物をだす」。安心安全はもちろんのこと、新鮮さも重視して地元のお客様、観光客の「おいしい」の言葉を引き出します。

株式会社久恵比寿の歩み

株式会社久恵比寿は創業60年。初めは近所の工場労働者向けに定食やラーメンを提供していたといいます。高度経済成長の真っただ中という時代。工場は昼も夜も休みなくフル稼働していました。おにぎりや弁当の配達も行い、彼らの食を支えたのです。そんなある日のこと。久恵食堂は寿司職人を雇いました。シャリを握る手つきやネタを吟味する姿勢に魅せられ、社長も見よう見まねで寿司の作り方を学びます。そしてメニューに寿司も加えることで、屋号を「久恵寿し」に変更しました。経済成長と共に企業や団体の宴会の需要も高まったことで、寿司だけでなく揚げ物や鍋物などの宴会メニューの提供を開始。これが当たって店舗を拡大するに至りました。その後、バブルが弾けたことを契機に安くて楽しい回転寿司がブームとなります。時代を見通した久恵寿しは回転寿司へ業態変更。軌道に乗って業績は右肩上がりだったといいます。
次に久恵寿しが注目したのは、お店に来たくても来られない人のことでした。これまでのお礼の気持ちもこめて高齢者施設での出張握りサービスを始めたのです。地域貢献の意味から、もちろんボランティアです。久しぶりにプロの職人が握った寿司を食べた高齢者の方の笑顔が何よりの報酬でした。このサービスは評判を呼び、やがて料金を支払うので出張握りをしてほしいという声が多く集まるようになりました。その声に押されて出張握りサービスを本格的に展開することになります。出張先は福祉施設のみならずホテルなどさまざまです。

畑中稔社長の苦労と信念

成長を続ける株式会社久恵比寿の社長は畑中稔。1980年生まれというまだ若い社長です。就職氷河期のあおりを受け高校卒業後フリーターやニートを経験し、苦労を味わいました。その後、株式会社久恵比寿の事務アルバイトに採用されます。店舗運営スタッフから経理補助、人事担当者、人事部責任者を経て30代の若さで代表取締役に就任します。
苦労を知っている畑中稔社長が大切にしているのは「信頼の味」を提供し続けるということ。地域に支えられていることに感謝しながら、創業当時の美味しさを守り抜くことです。

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